指揮者の清水敬一先生は、2019年5月に還暦を迎えられ、去る6月1日には、東京オペラシティコンサートホールで還暦記念演奏会が開催されました。演奏会では清水先生が指揮をされている松原混声合唱団、湘南市民コール、町田市民合唱団、女声コーラス渚、早稲田大学コール・フリューゲルが登壇し、最大で200人を超える圧巻の歌声が響きました。また、当日の会場では、正式発刊直前の“合唱指揮者という生き方 私が見た「折々の美景」(アルテスパブリッシング)“が販売され、先生が60年間に見た景色を楽しく読む事ができます。勿論、サインを頂いてきました。
さて、私どもの勝田混声合唱団は、長年、清水先生にご指導頂いております。清水先生は、全日本合唱連盟の理事等の合唱界における高い地位におられ、そんな高名な方がこんな茨城県の田舎町までご指導に来て頂ける理由や経緯を知りたいとのご質問を、団員に限らず他団からも時々いただきます。
記録によれば、1984年(昭和59年)11月3日の第1回記念演奏会の指揮は、当時の団員だった加藤毅氏が担当しています。この年は、勝田市制施行30周年を記念しての文化会館が建設中で、このオープン式典でコーラスを披露しようとの機運が盛り上がり、4月15日に市を挙げての合唱団が結成されたばかりでした。第2回(1985年11月)~第4回演奏会(1989年5月)の指揮者は元国立音楽大学助教授の岡本仁先生、第5回(1991年4月)と第6回(1993年2月)の指揮者は茨城キリスト教大学の教授(当時は講師)の佐藤希久雄先生に指揮をいただいていました。
さて、本題の清水先生ですが、1992年に勝田市合唱連盟の行事として合唱講習会が開催され、講師として招聘されたのが、当時新進気鋭の清水敬一先生でした。上述の還暦記念演奏会のパンフレットと本によると、当時の清水先生は1982年に早稲田大学を卒業し、指揮法を学びながら指揮者としての道を歩み始め、1992年頃はご結婚し、お嬢様が誕生されたばかりの33歳の若者でした。
一方、そのころ佐藤希久雄先生から、「ドイツへの留学予定があるので指揮をどなたかに交代して欲しい」との相談をいただいておりました。この様な背景において、上述の勝田市合唱講習会への清水先生招聘に関与したのは、勝田市文化協会理事の潮田寿美子さん(元勝田混声合唱団の事務局長)と、勝田市合唱連盟代表の長尾路子さん(元勝田混声合唱団の団員)で、2人とも勝田混声合唱団団員であった事もあり、勝田混声合唱団の指揮者として清水先生をお迎えしたいとの話が団内に持ち上がりました。清水先生にご相談すると「どんな演奏をする団なのか、先ずは聞いてみてからご返事したい」との事であり、この為に前記の第6回演奏会の全ステージを清水先生に聞いていただきました。その結果、清水先生から「引き受けましょう」とのご返事を頂き、団員一同安堵するとともに、喜びのうちに指揮者としてお迎えできる事となりました。当時の演奏会の前夜(ゲネプロ)後は、居酒屋で清水先生と団長などが御猪口を酌み交わしたそうです。みんな若かった。
この様に、第6回演奏会終了後の1993年4月から清水先生のご指導をいただき、第7回演奏会(1994年10月開催)から指揮を頂くことになった訳です。それ以来、2019年の現在まで、清水先生の還暦人生の約半分、指揮者としての人生の殆どを一緒に歩ませて頂いてきた勝田混声合唱団です。
日曜日の午後は「ふぁみりこらぼ」に集合です。子供達が戯れ、多様な人が歓談する空間は、集まる人に活力と安らぎを与えてくれます。この空間で、清水敬一先生のご指導の下、混声合唱ならではのハーモニーを生み出す活動を通し、これからも様々な時間と空間を繋いでいきたいと思っています。(事務局長 香田)